天音光人の文学的日常

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村上春樹の『海辺のカフカ』を読み終わりました。もう五、六回は読んだと思います。読了して思ったのが、レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』でフィリップ・マーロウが言う「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」という名セリフです。

主人公の田村カフカ少年は「世界で一番タフな少年」になるべく、家出をして四国の松山まで旅に出ます。そこで少年は、タフになるということは同時に他人に対して優しくなることだということを悟るのです。そして自分を捨てた母の気持ちを理解し許すことで、本当の意味でタフな少年になります。

なお、フィリップ・マーロウのセリフで「タフ」と訳されているのは、原文では hard ですし、上記の訳文は生島治郎によるものだそうですが、村上春樹自身はその訳をかなり問題あるとしており、自身では「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない」と訳しています。原文の意味には忠実なようですが、ちょっと間延びした感じがします。

それでも、『海辺のカフカ』には明らかにその思想の影響は見て取れますし、それを書いた頃の村上春樹はやはり「タフ」という言葉を用いていますから、生島訳のセリフを念頭に置いていたのでしょう。


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by amanemitsuhito | 2018-11-10 09:57 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹の『職業としての小説家』を読み返しているのですが、その中に興味深いことが書いてありました。それは、村上春樹は自分の心の中にいくつもの引き出しを持っていて、その中に小説に使えそうないろいろな材料を蓄えていて、そこから必要なものを取り出して組み合わせ、小説を書いているということです。

人は誰でもいろいろな情報を心の中にストックしているはずですが、難しいのは、必要な情報をそこから自由に取り出すこと、つまり心の引き出しにアクセスすることです。

それができるようになるには、やはり訓練しかないのでしょうね。




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by amanemitsuhito | 2018-02-22 07:17 | 小説作法 | Comments(0)
村上春樹の『村上さんのところ』のコンプリート版も読んでいます。期間限定の特設ホームページで読者からの質問を受け付け、それに対して村上春樹本人が直接答えるという企画でした。抜粋版は単行本で出版され、コンプリート版は電子書籍のみで刊行されています。

このコンプリート版が読みたくてKindleを買ったくらいで、今少しずつ読んでいます。しかし、先に紹介した『職業としての小説家』の密度の濃さに比べて、『村上さんのところ』はとんでもなくスカスカです。質問もくだらないのがほとんどで、それに対する村上春樹の回答も手を抜いているとしか思えません。これなら抜粋版でも十分だったと思います。

しかし、せっかく購入しましたので、もしかしたら何か有意義なことが後ろの方に書いてあるかもしれませんので、少しずつでも最後まで読んでみたいと思います。




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by amanemitsuhito | 2017-07-23 07:03 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹の『職業としての小説家』を読んでいます。といっても、これで3回目です。最初に単行本で発売されてすぐに購入して読み、それからしばらくしてまた読み、今は文庫版を買い直して読んでいます。

これは何度でも読み直す価値のある本です。これを読んで、村上春樹の小説のこれまでよくわからなかったところが、かなり腑に落ちるようになりました。詳しい内容はまた少しずつ書いていきたいと思います。




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by amanemitsuhito | 2017-07-22 07:02 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹の短編小説『午後の最後の芝生』は、作家の小川洋子が一番好きな小説として挙げていることでも有名です。この作品では、語り手の「僕」が芝刈りのアルバイトで訪れた家で、中年の女性からいなくなった(死亡した?)らしい娘の部屋を見せられて、娘のイメージを尋ねられます。そこで「僕」は次のような感想を述べるのです。

「問題は……彼女がいろんなものになじめないことです。自分の体やら、自分の考えていることやら、自分の求めていることやら、他人が要求していることやら……そんなことにです」

このような自分が生きている世界になじめないという感覚は、村上春樹の小説の登場人物の多くに共通する点だろうと思いますし、また現代を生きる人間の多くに共感できるものなのだろうと思います。それが村上春樹の人気の要因の一つなのかもしれません。




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by amanemitsuhito | 2017-07-21 07:11 | 読書記録 | Comments(0)
私は村上春樹が好きで、その小説はほとんど読んでいますが、エッセー類はまだ読んでないのもあり、今はちょうど『遠い太鼓』を読んでいるのですが、その中に小説『ダンス・ダンス・ダンス』のことがでてきました。それによると、このタイトルはザ・デルズという黒人バンドの古い曲にインスパイアされたのだそうです。

それまで私はてっきりビーチボーイズの名曲「ダンス・ダンス・ダンス」に由来するものとばかり思っていました。実際、『風の歌を聴け』ではビーチボーイズの「カリフォルニア・ガール」という曲が引用されていて、作品の中で重要な意味を持っています。

だから、初期三部作の続編ともいえる『ダンス・ダンス・ダンス』も同じビーチボーイズの曲だろうと思っていたのです。まあしかし、初期三部作が学生紛争後の喪失感のようなものをテーマとしているのに対して、『ダンス・ダンス・ダンス』ではもっと後の高度消費社会が問題となっていますので、テーマ的にはちょっと異なる作品ですね。




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by amanemitsuhito | 2017-07-15 07:43 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読み直しています。それで読んでいてふと気づいたのですが、講談社文庫版(2004年)の上巻191ページで、右翼の大物の黒服の秘書が羊について語る箇所で、昔の日本では羊は「竜や貘と同じ程度にイマジナティブな動物だった」と書かれています。

これはイマジナティブ(imaginative)「想像力豊かな」ではなくてイマジナリー(imaginary)「想像上の、架空の」の間違いではないかと思うのですが、どうでしょう。

この秘書は日系二世でスタンフォード大学卒のエリートという設定なので、英語を間違えるというわけはないでしょうから、作者の村上春樹が単純に間違えたのでしょうか、それともここはやはりイマジナティブでいいのでしょうか。英訳本ではこの箇所はどうなっているのか、気になるところです。




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by amanemitsuhito | 2017-06-09 07:18 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には名字に色の付く4人の人物が登場します。それは、赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵里で、赤、青、白、黒の四色です。彼らはかつては親友同士で、多崎つくるだけが名字に色がないということで、コンプレックスを持っているという設定です。

ところで、名前に色が付くという発想ですが、これは一つにはポール・オースターの『幽霊たち』にヒントを得たのではないかという気がします。『幽霊たち』には、ブルーやホワイト、ブラックにオレンジといった色の名前の人物が登場します。日本語訳をしているのは柴田元幸ですし、村上春樹がそれを読んでいるのは、まず間違いないでしょう。

もう一つ考えられるのは、庄司薫です。村上春樹と庄司薫の関連については、文芸評論家の川田宇一郎さんが指摘していたと思いますが、庄司薫の小説には色の付いた四部作があります。『赤頭巾ちゃん気をつけて』『さよなら怪盗黒頭巾』『白鳥の歌なんか聞こえない』『僕の大好きな青髭』で、赤、黒、白、青の四色は『多崎つくる』と一致しています。

他にも可能性はあるかもしれませんが、だいたいこんなところではないでしょうか。




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by amanemitsuhito | 2017-06-06 07:27 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹のベストセラー小説『ノルウェイの森』の前半に、突撃隊と呼ばれる個性的な人物が登場します。彼は語り手の「僕」すわなちワタナベ・トオルの学生寮のルームメイトで、朝から部屋の中でラジオ体操をしては「僕」をうんざりさせるという変わった人物ですが、国土地理院に入ることを目指して地理学を勉強している勤勉実直な学生です。どもりながら話をするクセがあり、女の子と何を話したらいいかわからないという堅物でもあります。

そんな突撃隊が夏休み明けに、何も告げずに突然大学をやめて故郷に帰ってしまいます。小説の中では魅力的な人物であっただけに、なぜ突然消えたのかが不思議に思われました。その理由は小説の中では何も説明されていません。

そこで私はいろいろと考えてみたのですが、おそらく学生紛争に巻き込まれたのではないだろうかと思いました。突撃隊はいわゆるノンポリ学生で、学生運動からは距離を置いて地理学をひたすら勉強しています。それが学生運動のセクト間の争いにでも巻き込まれたのではないかというのが私の推測でした。

すると、先日ちょうど『1973年のピンボール』を読んでいたら、それに当てはまるような学生の話が出てきました。それは第5章で、「僕」にベッドをくれた学生のことです。その学生は地方の金持ちの息子で、大学内で別のセクトの連中に殴られ、作業靴で顔を蹴られて目を悪くして大学をやめ、田舎に帰ったと書かれています。まさにこれこそが、突撃隊が大学をやめて田舎に帰った理由なのではないかと思うのです。

ちなみに、村上春樹自身の当時の学生紛争への批判的な見解は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』にも書かれています。




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by amanemitsuhito | 2017-06-02 07:34 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹『1973年のピンボール』の最初の方に、土星生まれの男と金星生まれの男の話が出てきます。土星生まれの男によると、土星はひどく寒くて引力が強く、とても住みにくいところです。それで男は大学を出たら土星に帰って、立派な国を作るために革命を起こすつもりだと言います。

一方、金星生まれの男によると、金星は暑い星で、暑さと湿気のために住民の大半は早死にしますが、その分だけ心は愛に富んでいて、殺人も争いもなく、あるのは愛と思いやりだけだそうです。

この土星生まれと金星生まれの男たちのエピソードは何のために書かれているのだろうと考えてみたのですが、これはそれぞれ学生運動とヒッピームーブメントを表しているのではないかと思うのです。

小説の背景となっている時代はまさに学生運動が盛んな時期でした。学生たちは社会を変革しようとして、暴力的な手段をとっていました。しかし、もう一つ非暴力的な運動もあり、それはヒッピームーブメントです。そのモットーはラブ・アンド・ピースという言葉で表現されます。

この小説の初めに出てくる土星生まれと金星生まれの男たちの奇妙なエピソードは、学生運動とヒッピームーブメントという社会変革のための対極的な二つの運動を表しているのではないでしょうか。もちろん、どちらの運動も大きな成果を収めることはできずに衰退していきましたが。




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by amanemitsuhito | 2017-06-01 07:54 | 読書記録 | Comments(0)

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