天音光人の文学的日常

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自作の超短編小説

その後、自作の超短編小説をさらに投稿しました。いちおう自分なりには、ショートショートよりさらに短い小説ということで、だいたい800字以下ぐらいのものを超短編と呼びたいと思っています。なお、つい最近書いた『夫の浮気に気づいた妻』という小説は、わずか327文字で、これまで書いた中では最短編です。

そして、いちおう小説として、ツカミとヤマとオチが必ずあるようにしています。超短編はアイデアさえ湧けば、かなり短時間に書き上げることができます。そんなわけで、またいいアイデアを思いついたら、また書こうと思っています。

超短編『夫の浮気に気づいた妻』http://ncode.syosetu.com/n5215dy/
超短編『うちのメイド』http://ncode.syosetu.com/n4815dy/




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by amanemitsuhito | 2017-04-30 07:48 | 自作について | Comments(0)

超短編小説について

小説はどのくらいの長さから小説と言えるのでしょうか。長いのはいくら長くてもいいと思うのですが、短いのはやはり限度があるでしょう。もちろん、人によって感じ方に違いはあると思いますが。

今回書いた小説『別れの作法』は364文字で、原稿用紙1枚分にも満たない、これまでに書いた中では一番短いものです。その次に短いのは『セーターを編む女』ですが、これは436文字あります。

これらはいちおう、たんなるあらすじではなく、一つの小説として読んでもらえると思います。もっと短い長さでも可能でしょうけれど、やはり短すぎると小説と感じないかもしれませんね。

「小説を書こう」では投稿できる最低の長さが200字となっていますので、その限界には一度挑戦してみたいと思っています。

超短篇小説『別れの作法』http://ncode.syosetu.com/n4698dy/




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by amanemitsuhito | 2017-04-29 07:05 | 文学一般 | Comments(0)
村上春樹の『風の歌を聴け』を読んでいて思ったのですが、この小説には後日談が書かれていて、そこでは語り手の「僕」は29歳になっていて、結婚しているということになっています。この小説のメインの出来事は「僕」が21歳の夏のことなので、8年後の後日談が書かれているわけです。そこでは鼠は小説を書いていることになっています。

小説などでこういう後日談を付けるのは、わりとよく見かける手法です。映画の『スタンド・バイ・ミー』なんかでは、後日談がかなり効果的に使われていました。

志賀直哉の小説『小僧の神様』では、後日談として小僧が寿司をごちそうしてくれた人の住所を尋ねていったけれども、というような後日談を付けようとしてやめたという、ちょっと変わった手法が用いられています。この手法は私も自作の『ブサイクでモテなかったオレは朝起きたら超イケメンに変身していたが……』の後書きで使いましたが、こういうのも悪くないのではないかと思います。

短篇小説『ブサイクでモテなかったオレは朝起きたら超イケメンに変身していたが……』
http://ncode.syosetu.com/n1741dy/




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by amanemitsuhito | 2017-04-28 06:30 | 小説作法 | Comments(0)
私はまだスマホを持っていないので、文章を書くときはパソコンでキーボードを使って書いています。しかし、常時パソコンの前に座っているわけでもありませんので、それ以外のとき、とくに構想を練ったりしているときには、ペンとノートを使っているのですが、数年前からお気に入りのものがあります。

まずペンについては、加圧式ボールペンというのを使っています。これはどこがいいかというと、まずインクが途中で詰まることなく、最後まで使い切れるということです。ボールペンはインクはまだたっぷりあるのに、途中で書けなくなることが多くて、ストレスになっていましたが、そのストレスがなくなるのは大きいです。また、逆さにしても書けるので、ソファーなどに寝転がって書くこともできます。何種類か販売されていますが、私は三菱のパワータンクの0.7ミリのものを使っています。

つぎにノートですが、大きさからいうと私にはA5サイズがちょうどいいです。また、私はソファーに寝転がって書いたりもするので、表紙の厚いものがよく、しかもめくりやすい無地のものということで、今のところ一番気に入っているのはライフのリングノートで Life Plaincolor の50シートのものです。これに構想や思いついた表現などを書き込んでいます。




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by amanemitsuhito | 2017-04-27 07:10 | 自己紹介・プライベート | Comments(0)
村上春樹の作品で、もう一つ視点のぶれが気になった作品があります。それはデビュー作『風の歌を聴け』です。この作品は一人称の「僕」によって一貫して語られる物語となっています。

三人称形式だと視点の移動もできますし、全知の視点から語ることもできますが、一人称形式だと語り手の視点から見えないものは語ることができません。そこに制約があるわけです。ところが、『風の歌を聴け』では、明らかに語り手の「僕」には見ることのできない場面が描かれています。

それは第11章のラジオN・E・BのDJの場面です。この章は「ON」と「OFF」の場面に分けられていますが、OFFの場面は放送されていない部分のDJの舞台裏が書かれていて、DJが暑いからコーラ持ってきてくれなどと言っています。この箇所はどう考えても語り手の「僕」には見ることができない場面です。

またONのところはDJが話す放送内容が語られていて、ここは語り手の「僕」がそのラジオ放送を聞いていると考えれば矛盾は生じないのですが、そのすぐあとで「僕」はこのときラジオは聞いていなかったことがわかります。ではこの箇所の視点はどう考えればいいでしょうか。

一つの解釈は、この章だけ三人称形式となり視点が移動しているというものです。しかし、そこだけ一人称形式からずれているというのも、おかしな話です。

もう一つの解釈は、この章は語り手の「僕」の想像だとする考え方です。これでも苦しいですが、まあそんなところでしょうか。




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by amanemitsuhito | 2017-04-26 06:57 | 読書記録 | Comments(0)
村上春樹の短篇小説『恋するザムザ』は海外(アメリカ)の短編恋愛小説の翻訳集『恋しくて』の最後に収録されている作品ということで、掲載方法も変わっていますが、内容もちょっと変わっています。

まず、タイトルからわかるとおり、この作品はカフカの『変身』のパロディーです。『変身』ではグレゴール・ザムザという人間が朝起きたら虫に変身していたという話ですが、『恋するザムザ』は虫が朝起きたら人間のグレゴール・ザムザに変身していたという、逆の話です。

そして人間になった虫のザムザは鳥に食べられることを恐れたりしますが、そこへ錠前の修理にやってきた鍵屋の若い娘に恋をします。この娘はせむしという設定で、歩く姿が虫のように見えるのです。

というわけで、大変面白い設定の小説なのですが、一つだけ小説技法に関して疑問に思う点がありました。それは視点のぶれの問題です。

この小説は三人称形式で書かれています。村上春樹は初期の頃はほとんど一人称の「僕」あるいは「私」による一人称形式の語りになっていて、後期になると三人称形式が多くなりました。最新作『騎士団長殺し』ではまた一人称形式が用いられています。変わったところでは、『アフターダーク』なんかは「私たち」という一人称複数による語りが用いられていますが、これは読者を含めた「私たち」なのでしょう。

しかし、村上春樹は三人称形式の語りを用いるときにも、視点は登場人物の誰か一人に固定されている場合が多いのです。そして『恋するザムザ』でも、視点はほとんど一貫してザムザに置かれています。ところが一カ所だけ、ほんの数行、視点がザムザではなく鍵屋の娘に置かれているところがあります。

「娘は首を曲げて、ザムザの顔を見た。そして彼が決して自分を馬鹿にしているのではないことを理解した。悪意もなさそうだ。たぶんうまく知恵も働かないのだろう、と彼女は思った。でも育ちは良さそうだし、顔立ちもなかなかハンサムだ。年齢は三十歳前後、どう見ても痩せすぎだし、耳が大きすぎるし、顔色も良くないが礼儀正しい。
 それから彼女は、ザムザの着ているガウンの下腹部が、急な角度で上に盛り上がっていることに気がついた。」(中公文庫版356ページ)

このザムザの風貌は写真でよく見るカフカの風貌に似ている気もしますが、この箇所はあきらかに娘の視点から書かれています。ところが他のすべての箇所は、ザムザの視点からなのです。

たしかに三人称形式の語りの場合は、視点の移動はあってもかまいませんが、ここだけ視点が変わるのは違和感がありますし、通常は視点のぶれとして小説作法上はよくないとされています。村上春樹は何らかの効果を狙って意図的にそうしたのでしょうか、それともうっかりミスなのでしょうか。

私としては、やはりザムザの視点で統一した方がよかったのではないかと思います。もし娘の視点を取り入れるのであれば、もっとうまいやり方があったのではないかという気がするのです。




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by amanemitsuhito | 2017-04-25 06:58 | 読書記録 | Comments(0)

変身譚について

人間が何か別のものに変身したり、逆に動物などが人間に変身したりするという、いわゆる変身譚は、ギリシア神話をはじめ、世界中の文学にたくさんあります。

代表的なところではオウィディウスの『変身物語』、カフカの『変身』、日本文学では泉鏡花の『高野聖』なんかもそうですし、アニメ映画の『君の名は。』もそうです。もっともこれは映画『転校生』、原作は山中恒の 『おれがあいつであいつがおれで』と同じような設定ですが。ほかにも、『千と千尋の神隠し』でも千尋の両親は豚に変身させられます。

私自身もいくつか変身をモティーフにした小説を書きましたが、変身願望は人間にとって普遍的なものなのかもしれません。




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by amanemitsuhito | 2017-04-24 07:23 | 文学一般 | Comments(0)
私が書く小説のメインは、自分と同じようなモテない童貞の情けない自虐的な話で、これはいってみれば「童貞小説」とでも言えそうで、一つのジャンルとして成り立つのではないかと思います。ただ、このジャンルは「小説家になろう」サイトでは今ひとつ受けはよくない感じがします。

そのほか考えているのは、ブスの女性を描く「ブス小説」なんかどうだろうと思っています。ブスを好きになる男性の話や、ブスなのに美男子しか受け付けない女の話など、面白そうです。しかし、このジャンルもやはり一般受けはしそうにないですね。

あとは「ビンボー小説」なんてのも面白そうです。ビンボーな生活を楽しむ姿を描く小説で、イメージとしては、以前に前川つかさの『大東京ビンボー生活マニュアル』というマンガがあったのですが、あんな感じのものを小説で書いたらどうでしょう。うーん、これもいまいち受けそうにないですね。

あとは、わりとオーソドックスですが、「観光小説」とか「旅行小説」なんかどうだろうかと思います。観光地を舞台にして、観光地の魅力を引き出しながら、旅情豊かに興味深い事件を描くものです。これまでにトラベルミステリーとか旅情ミステリーなどはありましたが、もっと観光に重点を置いた小説を考えています。昔の歌にありましたが、京都大原三千院で恋に疲れた女の人が、同じく人生に疲れた男の人と出会って、なんらかのイベントが発生する、なんてのはどうでしょうね。

旅先でステキな相手と出会って恋に落ちるというのは、多くの人の願望にあると思いますので、けっこういけるのではないかという気もします。




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by amanemitsuhito | 2017-04-23 07:03 | 文学一般 | Comments(0)

自作短編の中で今のところいちばん気に入っている作品『桜の木の下で』は、最初に桜の花びらに埋まっている死体のイメージがあって、そこから構想していって書き上げました。

桜の花びらと死体のシーンは冒頭かラストのどちらかに置くのが印象的になります。最初は冒頭に置こうかと思ったのですが、そうするとどうしてもミステリかホラーになってしまいます。私はなんとなく、桜の季節なのだから甘い恋愛ものにしたいという気持ちがありました。それともう一つ、来年の桜の花を見るときには自分はどんな風になっているだろう、などと考えたのです。

そこから、来年の桜を見ようという約束をして、それが果たせなかったという悲恋の話はどうだろう、と考えました。あとは、ラストの死を残酷に見せないためには、死体はある程度天寿をまっとうした老人でなければならない、という気がしてきたのです。

そこから、妻に先立たれた男の話にすることにしました。そこで、以前に見たアニメ映画『カールじいさんの空飛ぶ家』の冒頭シーンを思い出したのです。妻と知り合うところから、結婚して苦楽を共にし、やがて妻が病気になって亡くなるところまでを回想します。その部分が非常に印象的だったので、なんとか使えないだろうかと考えました。

最後に妻の幽霊らしきものが現れるのは、浅田次郎の『鉄道員』に似ていますが、あれが幽霊なのか、それとも老人の幻想なのかは、曖昧にしてあります。

それなりにうまくまとまったとは思いますが、もう少し語りに工夫が必要だったかもしれません。

『桜の木の下で』http://ncode.syosetu.com/n0554dx/




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by amanemitsuhito | 2017-04-22 07:04 | 自作について | Comments(0)
私の書く小説はモテない男の情けない話が多いのですが、「モテない男」をテーマとした小説は古典的な文学にもけっこう多いですね。

有名なところではゲーテの『若きウェルテルの悩み』、ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』、ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』、それから村上春樹の愛読書だというフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』なんかもそうですし、二葉亭四迷の『浮雲』なんかもそれに入ると思います。

村上春樹の小説だと、有名な『1Q84』に牛河という非常に個性的な人物が出てきて、最後には無残に殺されしまいますが、この牛河なんかは典型的なモテない男で、私も読んでいてついつい同情してしまいました。

そのほかにも、ヴァーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の出てくるアルベリヒなんかは、ラインの乙女たちにバカにされて、愛を断念することによって指環の力を得るという設定でした。これなんかはまさに、モテない男の怨念みたいなものを感じます。

私の書く小説は、モテない男の情けなさを自虐的に笑ってしまおうというところに狙いがあるのですが、もうちょっと悲哀や怨念というものも書いてみたいと思います。




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by amanemitsuhito | 2017-04-21 07:41 | 文学一般 | Comments(0)

天音光人の文学的日常


by 天音光人