日本推理作家協会編の『ミステリー傑作選25誰がための殺人』を読んだのですが、その中の井沢元彦の『ヘビースモーカーは早死にする』という小説がちょっと変わっていました。それは全体が二人の人物の会話のみから成り立っているのです。
描写もなければト書きもありません。地の文がまったくなく、すべてが会話なのです。それできちんと物語ができています。これには驚きました。しかしその一方で、これはあえて会話だけにする必要があったのだろうかとも思いました。一つの実験的な試みなのでしょうが、やはり地の文もあった方が読みやすかったのではないかという気がします。
その意味では、会話中心であっても、鯨統一郎の『邪馬台国はどこですか』程度に地の文の描写や説明があった方が読みやすいですね。