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天音光人の文学的日常

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村上春樹『風の歌を聴け』における視点のぶれについて

村上春樹の作品で、もう一つ視点のぶれが気になった作品があります。それはデビュー作『風の歌を聴け』です。この作品は一人称の「僕」によって一貫して語られる物語となっています。

三人称形式だと視点の移動もできますし、全知の視点から語ることもできますが、一人称形式だと語り手の視点から見えないものは語ることができません。そこに制約があるわけです。ところが、『風の歌を聴け』では、明らかに語り手の「僕」には見ることのできない場面が描かれています。

それは第11章のラジオN・E・BのDJの場面です。この章は「ON」と「OFF」の場面に分けられていますが、OFFの場面は放送されていない部分のDJの舞台裏が書かれていて、DJが暑いからコーラ持ってきてくれなどと言っています。この箇所はどう考えても語り手の「僕」には見ることができない場面です。

またONのところはDJが話す放送内容が語られていて、ここは語り手の「僕」がそのラジオ放送を聞いていると考えれば矛盾は生じないのですが、そのすぐあとで「僕」はこのときラジオは聞いていなかったことがわかります。ではこの箇所の視点はどう考えればいいでしょうか。

一つの解釈は、この章だけ三人称形式となり視点が移動しているというものです。しかし、そこだけ一人称形式からずれているというのも、おかしな話です。

もう一つの解釈は、この章は語り手の「僕」の想像だとする考え方です。これでも苦しいですが、まあそんなところでしょうか。




by amanemitsuhito | 2017-04-26 06:57 | 読書記録

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