天音光人の文学的日常

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村上春樹『恋するザムザ』における視点のぶれについて

村上春樹の短篇小説『恋するザムザ』は海外(アメリカ)の短編恋愛小説の翻訳集『恋しくて』の最後に収録されている作品ということで、掲載方法も変わっていますが、内容もちょっと変わっています。

まず、タイトルからわかるとおり、この作品はカフカの『変身』のパロディーです。『変身』ではグレゴール・ザムザという人間が朝起きたら虫に変身していたという話ですが、『恋するザムザ』は虫が朝起きたら人間のグレゴール・ザムザに変身していたという、逆の話です。

そして人間になった虫のザムザは鳥に食べられることを恐れたりしますが、そこへ錠前の修理にやってきた鍵屋の若い娘に恋をします。この娘はせむしという設定で、歩く姿が虫のように見えるのです。

というわけで、大変面白い設定の小説なのですが、一つだけ小説技法に関して疑問に思う点がありました。それは視点のぶれの問題です。

この小説は三人称形式で書かれています。村上春樹は初期の頃はほとんど一人称の「僕」あるいは「私」による一人称形式の語りになっていて、後期になると三人称形式が多くなりました。最新作『騎士団長殺し』ではまた一人称形式が用いられています。変わったところでは、『アフターダーク』なんかは「私たち」という一人称複数による語りが用いられていますが、これは読者を含めた「私たち」なのでしょう。

しかし、村上春樹は三人称形式の語りを用いるときにも、視点は登場人物の誰か一人に固定されている場合が多いのです。そして『恋するザムザ』でも、視点はほとんど一貫してザムザに置かれています。ところが一カ所だけ、ほんの数行、視点がザムザではなく鍵屋の娘に置かれているところがあります。

「娘は首を曲げて、ザムザの顔を見た。そして彼が決して自分を馬鹿にしているのではないことを理解した。悪意もなさそうだ。たぶんうまく知恵も働かないのだろう、と彼女は思った。でも育ちは良さそうだし、顔立ちもなかなかハンサムだ。年齢は三十歳前後、どう見ても痩せすぎだし、耳が大きすぎるし、顔色も良くないが礼儀正しい。
 それから彼女は、ザムザの着ているガウンの下腹部が、急な角度で上に盛り上がっていることに気がついた。」(中公文庫版356ページ)

このザムザの風貌は写真でよく見るカフカの風貌に似ている気もしますが、この箇所はあきらかに娘の視点から書かれています。ところが他のすべての箇所は、ザムザの視点からなのです。

たしかに三人称形式の語りの場合は、視点の移動はあってもかまいませんが、ここだけ視点が変わるのは違和感がありますし、通常は視点のぶれとして小説作法上はよくないとされています。村上春樹は何らかの効果を狙って意図的にそうしたのでしょうか、それともうっかりミスなのでしょうか。

私としては、やはりザムザの視点で統一した方がよかったのではないかと思います。もし娘の視点を取り入れるのであれば、もっとうまいやり方があったのではないかという気がするのです。




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by amanemitsuhito | 2017-04-25 06:58 | 読書記録 | Comments(0)

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